FXとfx
1938年に渡米して[3]からは、1950年代にベートーヴェンのリサイタルで名を馳せるとともに、1952年から1964年までジュリアード音楽学校の教壇に立ち、教師としても高名であった[4]。fxの著名な門弟に、ヤコブ・ギンペルやアルフレッド・ブレンデル、ラッセル・シャーマンらがいる。
1989年にネブラスカ大学出版局から、クララ未亡人やガンサー・シュラーらの共同編集によりfxの著作集『TheNtQuiteInncentBystander:WritingsfEdwardSteuermann』が出版された。
オーストリア領ガリチアのクンツェンドルフ(現在はポーランド・リプニク)に生まれる。ここはヨハネ・パウロ2世の家系ともゆかりのある町である。モラヴィアのリプニークLipnik(ライプニックLeipnik)ではない。幼い頃から「天才少年」として楽才を発揮し、FXにて幾人かのピアノ教師に学んだ後、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のソリストとしてデビュー。デビュー後に改めて名ピアノ教師として名高いレシェティツキに師事し、一時助手も務めた。また、ブラームスからは「将来最も恐るべき天才」と絶賛された。しかし、FXの雰囲気にいまひとつ馴染めなかったか、後にベルリンに引越しをしている。ベルリンでは後の夫人であるアルト歌手のテレーゼ・ベーアと出会い、彼女の伴奏ピアニストとして活躍することとなる。
1912年ごろからヴァイオリニストのカール・フレッシュなどと室内楽活動を行うようになり、室内楽のピアニストとして評価を高めていく。また、1921年にはアメリカにデビューし、その先物取引からベルリンで教授に就任したりフルトヴェングラーらと共演を重ねる。1927年にはベートーヴェンのピアノソナタの全曲演奏を7夜にわたって開催し、「ベートーヴェン弾き」としての名声を確立する。1932年から1937年にかけて、世界で初めてのベートーヴェンのFX全集とピアノ協奏曲全集(サージェント指揮)をレコーディング。また、ベートーヴェンのピアノソナタの解釈を詳細に記載した楽譜編集でも有名で、シュナーベル版として世界中で愛用されている。1933年からはナチの台頭によりスイスに移住。さらに1938年からはアメリカに本拠を移し、1944年にアメリカの市民権を取得した。
1946年3月3日、カーネギーホールでのロジンスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニック演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏中、第3楽章の途中で曲を忘れてしまい、演奏をやり直した。こういったアクシデントにもひるまず、第二次世界大戦後もアメリカとヨーロッパで演奏活動とレコーディング活動を続けたが、1951年8月15日に亡くなった。
シュナーベルの演奏スタイルとレパートリー
シュナーベルは技巧よりかは表現を重視した演奏をしたが、大げさな表現をよしとせず客観的な表現に特に重きを置いた。シュナーベルのベートーヴェン解釈は内面的な精神と外面の造形を絶妙に両立させたものといわれ、後の世代のベートーヴェン弾きであるバックハウスやケンプらとの解釈とは一線を画す解釈を繰り広げた。現代の視点からすると、テンポのふらつきなど不満な面はあるものの、解釈の仕方としては軽視できないものがある。
シュナーベルのレパートリーは狭く、ベートーヴェン以外ではモーツァルトやシューベルト、ブラームスなどをレパートリーとしていた。ベートーヴェンに対して使った解釈を他にも当てはめていたが、シューベルトに関しては少々濃い味付けをした解釈をしていたようである。また、当時はマイナーな存在であったシューベルトのピアノソナタを広く知らしめたのもシュナーベルであった。なお、若い頃はもう少し幅広いレパートリーを誇っていた。
レコーディング
「生涯」の項で記したように、シュナーベルは世界最初の「ベートーヴェン・ピアノソナタ全集」録音の完成者であるが、これはウォルター・レッグ考案の「協会レコード」という手法によるものである。
協会レコードとは、様々な作曲家のメジャーな曲からマイナーなfxまでを幅広くレコード化する目的で、その企画実現に必要な費用を「予約金」で賄うもので、第一弾としてエレナ・ゲルハルトによる「ヴォルフ協会」が1931年に企画され、これが成功すれば第二弾としてベートーヴェン・ピアノソナタ全集レコード制作の企画を立ち上げてもよいとレッグはHMVから示唆されていた。第1回ヴォルフ協会が日本からの111組という大量予約で奇跡的に成立→発売にこぎつけたため、「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ協会」の企画が始まった。
なお、この企画がシュナーベルの事実上のファースト・レコーディングになるが、これより先の1905年頃、ピアノ・ロールに録音を残している。
ベートーヴェン
ピアノソナタ
第1集:第24番、第27番、第32番
第2集:第9番、第13番、第30番
第3集:第15番、第19番、第31番
第4集:第2番、第14番、第26番
第5集:第11番、第20番、第23番
第6集:第6番、第8番、第18番
第7集:第1番、第10番、第28番
第8集:第3番、第17番、第22番
第9集:第12番、第21番
第10集:第29番
第11集:第4番、第16番
第12集:第5番、第7番、第25番
第13集:ディアベリ変奏曲
第14集:6つのバガテルp.126、ロンド・ア・カプリッチョp.129「失われた小銭への怒り」、ロンドイ長調W.49、創作主題による6つの変奏曲ヘ長調p.34、幻想曲ト短調p.77
第15集:メヌエット変ホ長調W.82、7つのバガテルp.33、「エロイカ変奏曲」、「エリーゼのために」(1938年盤)
第13集以下は「ベートーヴェン・ピアノ協会」として別勘定する書物もある(ここではナクソス・ヒストリカルの表記に拠る)。「エリーゼのために」(1932年盤)、ロンドハ長調p.51-1もSP盤の余白埋めとしてレコーディングされている。なお、アメリカに移ってからの1942年に、第30番と第32番をRCAに再録音している。